頑張らない家族介護

現役ケアマネの家族介護日記

介護と子育ては似て非なるもの

二人の娘の子育て

 

24歳の時に一人目を授かりました。もうその娘は今年26歳。

二人目は21歳になります。

 

小さかった娘たち

 

 

いつの間にか一人で着替えられるようになり、一人でトイレに行けるようになり

一人で買い物に行けるようになりました。

 

そして、私の身長を追い越しました。

 

私の知ない友人を作り、私の苦手な車の運転も出来るようになり、

スマホやパソコンの操作など、私が知らない事を色々教えてくれるようになりました。

 

子育てを成し遂げたとは言えませんが、少なくとも、

もう手を引いてやったり、目を離さないようにする必要はありません。

 

 

むしろ、最近は、子どもたちが、私や夫の体の心配をするなど、

立場が逆転していると感じることもあります。

 

もちろん、まだまだ心配なことはありますが、子育てはやれやれ…

終了したと言えるかも知れないです。

 

 

子育てと介護

ちょうど、姑の介護が始まった頃、子育て真っ最中でした。

無我夢中で目の前のことを片付けていくのがやっと。

そんな中子ども達は逞しく育ってくれました。

 

子育てと介護が平行して、常に私のライフワークの大部分を占めてきました。

 

 

 最近の姑は、もう一人で着替えることができなくなりました。

リハビリパンツの交換など、排泄は全て介助がいります。

どこに出かけるのも車椅子で、必ず介助がいります。

 

 手を引いてやらないといけません。

できるだけ目を離さないようにしなければなりません。

 

少しづつ時間が遡っているように感じることがあります。

実際、最近は認知症の症状がひどくなってきて、姑は時々子どものようになります。

 

けれど、姑は姑。子どもではありません。

私の何倍もの経験をして、人生を重ねて、今を生きています。

 

姑の今を大切にしなければ…

 

とはいえ、こちらの思いとは関係なく、どんどん老いていくのを感じます。

できないこと、わからないことがどんどん増えていきます。

 

成長とは逆のベクトルです。

 

介護は日々、そんな時の流れに寄り添わねばなりません。

自分たちも老いていくのですから。

 

介護と子育てとは似て、全く似て非なるもの。

 

 

 

ヘルパーになる

自分の時間

下の子が小学生になり、姑はデイサービスに行ってくれるようになり、

ようやく自分の時間が持てるようになりました。

それでも、主婦として、家事や子どもの学校のPTA活動など、それなりに忙しくしていました。

 

ただ、ふと

「母として、妻として、長男の嫁としての役割以外の自分を見つけたい」と考えるようになりました。

 

実は結婚当初から、専業主婦になったことで、なんとなく毎日の生活の中に自分を見失ったような、やり場のない寂しさを感じることがありました。

 

もちろん、夫は真面目で優しく、経済的にも特に問題なく、子どももできて

何不自由のない生活を送れていました。

 

けれど、なんとなく、とても贅沢なことですが、

「自分としての時間」が欲しくなったのです。

 

結婚してから全く仕事をしておらず、気がつけば10年以上過ぎていました。

それがコンプレックスとなっており、それを解消するため、

国家試験に挑戦したり、通信制の大学に社会人入学したりしました。

 

ちょうどその頃に夫の両親の介護が始まったのですが…

 

 

仕事を始める

姑の介護にも慣れ、姑の世話は生活の一部となっていました。

インスリンの注射はやはり食事前必ず行わねばなりません。

血糖値の測定、食事の準備、そして排泄の介助。

デイサービスでお風呂に入って来てくれるし、週に三回はお昼ご飯を食べて来てくれます。

 

パートであれば、働けるかも知れない。

 

ちょうどその頃、上の子の幼稚園で知り合った友達から、介護ヘルパーの仕事をしていると聞きました。

 

「介護」もう家で十分やってるしどうかな…

 

と思いつつも、その友達に話を聞き、少し興味を持ちました。

 

 

ヘルパーの仕事、奥が深そう…

高齢者のいる自宅に訪問し、生活の支援や身体介護を行う。

 介護福祉士の資格を取り、ケアマネージャーになる人もいる。

やりがいがありそう…

 

登録ヘルパーとして働くことで、決められたスケジュールの中

ある程度、自分の生活に合わせることができる。

 

介護をしながら働けるかも知れない。

 

お昼に帰って来れるよう、午前中にカリキュラムのある講座を申し込み、

ヘルパー2級を取得。

 

平成20年ヘルパーとして仕事をはじめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お祭りの日

15年前のお祭りの日の前日、舅は亡くなりました。

 

 

近所の神社でお祭りの日、年によっては家の前を御神輿が通ります。

毎年、姉や叔父家族たち親戚が集まりとても賑やかです。

姑は毎年、鯖寿司や巻き寿司、お赤飯も用意して皆を迎えていました。

 

ただ、私が嫁に来た頃から、少しづつそれも難しくなって来ていました。

それでも、私が手伝い、姉たちも手伝ってくれて、皆で食事して、

夫の家の一大行事として毎年続いています。

 

それほど広い家ではありませんが、座敷の襖を開けて二間続きにして、机を並べます。全員揃って一番多い時で17人くらい集まりました。

 

両親が要介護状態になってからは、私の家で行うようになりました。

ちなみに、昨年はコロナ禍のため中止でしたが、今後も続ける予定です

 

 

私はお酒が大好きですが、夫の家の人達には、夫と叔父さんを除いて飲兵衛はいません。なので大宴会とまではいきませんが、親戚たちそれぞれ近況を報告しあったりして、楽しい時間を過ごします。

 

私の実家は、いわゆる核家族なので、親戚を迎えるという習慣はありません。

最初は戸惑いましたが、わいわい集まるのは好きな方なので、それほど苦もなく、嫁として手伝うこともできました。むしろ、楽しみにしていたくらいです。

 

 

お祭りだけでなく、お正月は3日、お盆は大文字焼が行われる16日に毎年集まりは行われます。

 

舅は、家族が集って、こうした食事会ができるように、自宅の間取りを考えたと聞きました。リビングというのはなく、座敷二間続きにこだわったようです。

 

 

 

しかし、舅の葬式は自宅でなく、近所の葬儀場で行いました。

 

舅の人柄から、あまり大袈裟にせず、家族葬でと最初夫は望みましたが、当日は親戚をはじめ多くの方が弔問に来てくれました。

 

 

突然の同居で戸惑い、まだ若かったせいもあり、舅には十分な事ができませんでした。

 

今思えば…

舅に対してもっと優しく接して、もっと丁寧な介護ができれば良かっとのに…

 

 

もうすぐお祭りの日迎えますが、残念ながら今年もコロナのため中止です。

 

今年93歳になった、姑。

姑がいる間に、また親戚の集まりを行いたいものです。

 

 

両親の居場所

両親との生活

舅の方は、認知の症状はなく身の回りのことはできましたが、病気のせいで動くのがやっと。日常生活にはやはり誰かの介助が必要でした。

 

姑の方は、糖尿病があり、また合併症が心配されます。インシュリンの注射、血糖値の測定、食事もカロリーを抑えたものに…

それに、入院する前に比べると、口数が少なくなり、ぼんやりしていることが多くなったようです。

 

リビング横の和室に介護ベットを二つ並べて、食事の時以外は、二人とも一日中そこでテレビを見ていました。

 

今思えば…

 

例えば、洗濯物を畳んでもらうとか、あえて何か役割を持っていただけたら良かったんですが、なんとなく私が「家のことには関わってほしくない」みたいな空気を出していたんだと思います。

 

二人をずっとお客さんのように扱い、「一生懸命世話をしている嫁」という構図を崩したくなかったんですね。

 

デイサービスの利用

ケアマネージャーさんから、デイサービスの利用を提案してもらいました。

 

おかげで利用日は、昼食の準備やお風呂の介助がなくなり、助かりました。

看護師さんもおられるので注射もお願いできて、二人の健康状態も管理して頂けます。

 

何より、家に両親のいない時間ができました。

 

二人とも週に二回デイサービスを利用するようになり、特に舅の方はデイサービスを気にいって楽しみにするようになりました。

 

 

今思えば…

 

家にいても何もせず、ずっとテレビを見ていて、嫁からは必要以上に気を使われ、居心地が悪かったのかも知れませんね。

 

二人の居場所。

介護される人の居場所。

 

デイサービスの役割は大きいです。

 

30代で在宅介護開始

想定外の展開へ

夫の両親がほぼ同時期に入院し、そして、ほぼ同時期に退院しました。

 

退院後、私のほうから、同居を言い出しました。

というのも、毎日食事を運んだり、お風呂の面倒を見るなんて大変すぎると思ったのです。

 

夫がそうしたいと思っていることも薄々気づいていました。

 

しかも、両親の家でなく、私たちの家に来てもらうことにしました。

両親の家に家族4人が同居といのは物理的に無理。

広さとかの問題でなく、姑はもともと片付けが苦手だったので、家は物で溢れかえっていました。

 

下の子が幼稚園に入園し、ようやく自分の時間が持てると思った矢先です。

夫の両親との同居、そして、長い介護生活が始まりました。

 

在宅介護開始

幼稚園の送迎の合間、とにかく昼ごはんを用意するのが大変でした。

何より、糖尿病の姑の方は三食の食事前に必ずインシュリンの注射を打たなくてはなりません。

これがかなり面倒。注射を打つのは練習してすぐに慣れましたが、とにかく急いで帰らないといけません。時間が決まっているからです。

幼稚園のママさん達とのお付き合いもあるので大変。

 

お風呂はやはり毎日は無理。でも、一人ずつ介助して入ってもまらいました。

今考えても良くやっていたなあって思います。

 

ヘルパーさんの存在とか知らなかったし、誰かにやってもらうという発想がなかったのです。

 

介護保険の利用

二人とも、入院中に要介護認定を受けました。

ケアマネージャーさんとのやりとりは、当初夫がしてたので、どういういきさつだったか覚えていませんが、とても親身になってくださるケアマネさんでした。

それぞれ、介護保険を利用して、特殊寝台と車椅子をレンタル。お風呂のシャワーチェアも買いました。(お風呂用品やトイレ用品はレンタルはありません。)

 

そして、デイサービスの利用を開始。

 

週に二回はお昼ご飯を食べて来てくれる。インシュリンもデイサービスの看護師さんがしてくれる。

そして、何よりお風呂に入って来てくれる。

 

これは助かりました。

 

これならなんとか、やっていけそう…

夫には申し訳ないけど、まさか10年も20年も続くことではないでしょう。

 

当時はそんな風に考えてました。

 

 

 

突然そんな日はやってくる

17年前の春

下の娘の幼稚園の入園式直前、夫の父が倒れました。

もともと肺がんを患っていたのですが、転移したのです。

記憶が曖昧ですが、すぐ近所の医療センターに入院することになりました。

 

結婚して10年、夫の実家近くに家を建て、まさにスープの冷めない距離間で

両親との関係も良くもなく悪くもなく…

いや、実際のところは舅は最初から強く同居を望んでいたようで

私が強引に別居を進めたような状態でした。

それでも、お祭りの時や、お盆、お正月の親戚の集まりには、それなりに頑張って

長男の嫁として、役目は果たしてきたつもりです。

 

姑は元来明るい人で、おしゃべり好き。誰からも愛されるような元気な人でした。

ただ、家の中の整理が苦手で、食事作りもそこそこ、舅と二人で毎日歩いて近くの喫茶店に食事に行っていました。

実は、その頃より糖尿病が悪化しており、これが後々病気を発症させる原因のひとつになるのです。

 

舅が入院し、その間姑を一人にできないので、毎晩うちで食事をしてもらうことになりました。

一人で生活ができないということはなかったのですが、夫が心配していました。

やはり食事については、ほとんど自分で準備出来ない状態だったのです。

舅と二人でいることで、なんとか生活は成り立っていたようです。

 

17年前のことなので記憶がはっきりしませんが…

 

舅が入院して程なくして、

私の家で、夕食を食べている途中、突然、姑の話し方がおかしくなりました。

呂律が回っていない。それから左手がおかしい。顔の半分もなんかおかしい。

自宅に初めて救急車を呼びました。看護師をしている隣人も心配して覗きにきてくれました。二人の救急隊の方が掘りゴタツの天板を外し、姑はコタツの下に寝かされて、担架に乗せられました。

もう何が何だかわからない。夫と小さな娘たちと、ただ呆然と見ていました。

 

脳梗塞でした。やはり、少し前からその兆候はあったのです。

糖尿病による合併症。食事作りや家の片付けが出来なかったのも、脳血管性の認知症によるものだったのでは。

 

今になって、そう思えます。

ただ、その頃はなんの知識もなく、子どもも小さく、色んな意味で余裕がありませんでした。

 

両親ともに入院することになったのです。

突然、そんな日はやって来たのです。

 

 

 

頑張らない家族介護

はじめまして!

夫と娘二人、犬一匹に猫二匹、それから93歳になる姑と暮らす、

現役ケアマネージャーです。

ケアマネになって、7回目の桜の季節を迎えました。

そして、姑の介護が始まって17年目の春です。

仕事に家事、育児、そして介護とバタバタと、目まぐるしい毎日ですが

最近になってようやく、自分の時間を持てたり、

自分の生活に向き合えるようになりました。

そこで、生活の中で家族を介護をするということを、

要介護高齢者の家族として、そしケアマネとして、

何か発信できないかと、考えました。

テーマは、「頑張らない家族介護」です!

介護保険のかの字も知らず、手探りで始めた介護。

今までの経験や、少し(いやいやかなり)手抜きしての家庭内介護について書き

現在介護している方と交流したり、誰かの励みになるのが目標です‼︎

よろしくお願いします!